前回の記事を読んで反発心がうまれたら

前回の記事「〇〇のせいだと思ったら負け」を読んで反発心がうまれたら、
あなたはきっと相当悩み苦しんでいるかもしれません。
誰にも心を開けず、
一人だと悩んでいるかもしれません。
現在の私が言います、泣くことは悪いことじゃありません。
相談をしたり、人に話すことは、決して悪いことではないです。
あなたが如何なる苦しさを、辛さを噛み締めて生きてきたかは分かりません。
それにより愚行と周りから指摘されるような行いをしたかもしれません。
けれどどうかあなた自身を責めないで欲しい。
少しやらかしてしまったかもしれない。それで変われない自分が憎いかもしれない。
でも、大丈夫です。
今すぐ変わるなんて、そんなに焦ったって、結果は変わりません。
焦るよりも、期間をかけて、着実に足を踏み入れたほうがより強く、素晴らしくなれると思います。

だからどうか今の自分を責めないで。自分を愛すことをまず優先して、その為に今は立ち止まってもいいから、少しずつ変われたらなと、思います。

無理はしないでね。誰かに頼るんだよ。

「○○のせい」と思った時点で負け

タイトルの通り。だれかのせいやもののせいにするのは余りよくありません。自分のせいも然り。誰かに責任転嫁をするのは現実逃避の一種かもしれません、時には現実逃避も必要でしょう。
現実逃避は、一時的に幸福感を生むかもしれません。壊れる前に逃げる分には構わないと私は思います。然し、いつまでもそれを続けていたらどうなるでしょうか?
現実がどんどん離れて、好きなことだけに執着して、好きなことの技能は上がるかもしれません。其処にだけ特化して誇れるようにはなるかもしれません。
その先は?
その先には、人間的な、精神的な強さを生むでしょうか?
目先の事実にすら目を向けず偽り続けていること、それで偽りの仮面が剥がれたら?

つまり、現実逃避というのは、"今"であることに過ぎず、未来を見据えているとは言いがたくなるはずです。今だけ難をしのげても、何時しか隠していた部分が、自分の意思とは関係なく出てしまうときが来ると思います。若しくは、自分の内面を偽り続けることに為るわけですから、中にいる本当の自分がどんどん幼くなっていって、けれど必死に生き延びようとして暴れだすはずです。
スプラッター?や何かの映画などで、殺して欲しいという人間が、いざ殺してやろうと言われナイフを突きつけられると死にたくない、と喚き出すようなものと同じようなものだと思います。
磁石や何かだって、くっつこうとしすぎると反発が起きます。それもきっと分かりやすい例になるでしょう。

要点を纏めていないから話があっちこっちにいってしまったので強引に話を戻します。すみません。(どうせ私しかいないしいーや)

結局何が言いたかったかと言うと、だれかのせいにしたり何かのせいにするのは、何も成長を生まないと言うこと。
世の中には様々な意見の人が居りますので、一概には言えないかもしれませんが、私が対人トラブルで学んだことはこんなことでした。

誰かのせいにした分、無駄に本来なら無視すればいい相手のことを考える時間が増え、妬みそねみなどのどす黒い感情の餌食になり。そして精神的にも幼くなり、前には進まず後ろに進み、自ら置いた罠にハマります。進化ではなく真逆の退化をし、何一つ変わらぬまま負の部分だけが圧倒的に強くなります。全部が無駄なのです。小さな幸せすら見えずに終わることになります。
綺麗事ではなく事実だと思います。
そんなことをして人生無駄にしたいですか?

何者にもなれないといっているあなた、答えは案外傍にあると思います。
得していきたいですよね?
人生楽しみたいですよね?
ならやることは1つ。




「 今すぐ、誰かのせいにするのを辞めなさい。 」


私からは以上です。
おやすみなさい

母親はやはり母親だなあ

一人きりで考えていると、いつも周りが見えなくなって人の悪い所ばかりに目が行く。だけど実際案外そうでもないらしい。
一人の殻の中が窮屈に感じるのは人一倍被害者意識が強いからだ。自分主観でしか物を考えないから周りの意見がないから思想を巡らせるしか手がなくなるからだ。
私はきっと一人でいない方がいいなぁ。

昨日書いた記事の振り返りと今日の出来事(日記)

昨日ぶりです。私です。お元気ですか、私。はい、ぼちぼちやっております。って。茶番はいいのでいよいよ始まりました、私のブログタイムです。今回纏めます内容は、
・昨日の記事を今日振り替えって思ったこと
・今日あったいいことわるいこと
をお伝えしたいと思います。(記事の読みすぎでめちゃくちゃ定型文出来上がってんじゃん。)
(さて、と。始めましょうか。(溜めが長い))
まず始めにお伝えするのは、昨日の記事を振り替えって、です。今日夜、先程トイレにてなんとなく記事を開きましてなんとなく記事を振り返ったわけですが、なんというか。


「でかしたな。私。」
 ーーーーーーーー
一言で表すとこうですね。
なんと言うか。生理前とか自分一人の考えに囚われていたわたしとしては、自分を褒めてやりたくなるような考え方の記事を書いていまして。正直今までの後ろ向きな自分と違いを感じられて、凄く驚いています。人から褒められないなら、気づかれないなら、自分で褒めればいいじゃない!(単純思考)
だって誰かがそう言ってた。はず。
とにかく、多分前回の記事がかなりまともだと思います。辛くなったら振り替えるのも有りかもしれません。一人じゃないよ、過去のわたしがいるし、みんなもいるじゃない。大丈夫だよ。


はい、ここまで昨日の私と悩んだときの私向けの記事でした。次。

えっと。今日あった出来事のお復習をしようと思います。私のこと別に知りたくないよっていう私は回避してね。(いやどういうこと)
今日は、朝、母親に優しい声で起こされ、起床。起こされたときには仕事で家を出るとのことで、すぐいってしまいました。それから数分もしないうちに父親(クソ)から連絡が。お目覚めで間もないというのに、しかも体の一部(どこか忘れたが恐らく胸部)に針が刺さっていた夢を見て、機嫌悪いときにかけってきやがって、喧嘩をしましたね、はい。主にテストのこと。私を全否定し、殺すと連呼。お前が殺されたいか、と。すぐ八つ当たりして親の立場を利用し物言いをしてくるので、非常に腹立たしくあります。夢占いで調べたら誰かと言い争いになるようなことが書いて合ったので、間違いないなという感じです。まぁ、暗い終わった話はここまでにしましょう。
今日は沢山良いことがありました。
絵がうまくかけていること。これは説明省くとして、他にあったことは、視聴覚委員の人達が投票の結果?で決めた、「グレイテスト・ショーマン」という映画を見たこと。最初講堂に移動し、その間待ち時間にみづきとバイトや親の話題で盛り上がった事。それと少し腹立たしいけど男子共が私をチョコレートと言ってくる(いつも)ことがあった。10分程度cmを見た後に、ショーマン(主人公)が華麗な舞台の主役として歌いながら登場し、闇がかいま見えたと思った矢先に昔の過去の辛すぎる出来事を見せられ。そして徐々にシーンは大人になった彼の人生の物語について写し出されていた。(省略)初めは、博物館を作るが失敗し、いとしの妻とのあいだに出来た子供に、“生きてるものがいなきゃつまらない“と言われ、ショーマンとなる主人公が悩んだ挙げ句、変わった個性の人々を集めサーカスを始め、最初は大儲け半分、ネットでいうアンチに値するような人間たちもいて、混沌の中にいながらにして曲げる事なく自信を持ち、周りを、そして自分も楽しく、助ける主人公。「変わり者」と無下にされた人々を救い、妻や子供を楽しませ、別の舞台監督をも、悩んでいた所を救い、自分の手元へ呼び寄せた。そんな主人公。
しかし次第に、色んな人と巡り会い、当然ながら上に行っているとそういう絡みもふえるわけで、あるとき、女王のパーティに劇団が誘われ、主人公はある美人オペラ歌手に目を惹かれ、一緒にショーに出ないかと誘い、言葉巧みな彼に負けるようにして彼女はショーに出る。其処から主人公は暴走し始める。………流石にもう沢山言ったので、これ以上は簡単にまとめようと思う。
その美人歌手を段々駒のように使い始め調子に乗り、上流階級にいるという優越感に見に来る人々は減り、ユニークさや彼の人情味が薄れ、周りの人も次第に嫌悪感故に離れる。そしてバラバラになり人生最大とも言えるような崩壊が起き、彼もその周りも散々な目にあう。でも最終的には彼が自分の過ちに気づき、行動を改め皆団結しなおっていた。
何が言いたいかというと、非常に私の現在置かれている境遇と似ていて、客観的に自分を見ているような気分になり、こういうことか。と気付く事があった。

箇条書きにすると
・“皆からの評価“を第一にとるか、“大事な人“、“大事なもの、好きな気持ち“をとるか。
・上にいるからと調子に乗ると大事なものをすべて失う
・だが改心したら行動が先に伴うから皆も気づいて助けてくれる
・助け方は人それぞれだがどれも暖かいもの
………パッと思い付くかぎりこうだ。

私は、最近まで、この主人公のダークサイドと同じような沼ににどっぷり浸かっていた。
光があれば影がそばにできるように
光を見つけるのは一瞬だが、それが転じて闇へいくのも一瞬だ。あの映画を見て思い知る。上手く言い表せないが、凄く感動をした。あんなに自分と同じような境遇のものははじめてだし、人生を全て語らうような編集も、美しく響くミュージックも全てが好きだ。感動してしまった、もう一度見たい。背中を押してくれた。だからツイッターもてぃっくとっくも、寂しいけど消そうと思う。私が本当に大事なのは、どうでもいい観衆からの評価じゃなくて、大事な人たちからの評価だとおもうし、その人たちの時間だと思った。私が本当に好きなのはみおさんだし、これは揺るぎないし、私の宗教だからこれは変わらないし自分が変わる光になった。映画に込められたメッセージはすごい。ここまで思想を巡らせた映画ははじめてだった。全て捨ててもいい気がした。あの人が好きなら。話したいなら。勝手かもしれないが、人を思い続けたいと思う。いじってくる男子どもも、ちびとかほっぺにチョコとか言ってくるけど、なんだかんだ嬉しいから良いし、いろんな人から愛を感じる。素晴らしい人間になりたい、なる。だいすきだよ、めたもるさん。なんて。言いたいこと言いまくったし、おやすみ。

引き寄せの法則

私は気になるとすぐ物を調べる癖がある。本当に下らない事であっても、調べ続ける。それが実を結んだのか、役に立つのではないかという記事を見つけたのでここに書き残そうと思う。

「恋愛の引き寄せをやめたら恋愛がうまくいった体験談」

私が読んだ記事のタイトルだ。恋愛関連で毎日不安を抱え、過ごしていた。それだけでなく、親の事や周りの事。全てを人のせいにしていた、それを学校の先生に気づかされた。その上でこの記事を見つけた。さーさんもめちゃくちゃ優しくしてくれて、ほかほかな気持ち。
正直に、今日はハッピーかもしれない。どん底からの救済。みんなありがとう。


…と、また話題がズレた。記事について。
私は彼女、めたもるさんが好きすぎて、それが故に執着し、お揃いのリングをずっと肌身離さず付けて、バッグお揃いにし、背格好も似せようとしている訳だが、それについてすこしハッとさせられたことがある。

お揃いのリングを手放さない理由は、大事だから、ではなく
「次いつ会えるかわからないから」
「もう話せないかもしれないから」
というものだった事を記事と照らし合わせ気づいた。
まさか。そんなところに引き寄せの法則が使われているとは、思いもよらなかった。多分、なりきりとかもそうだ。彼女にいつ会えるか、仲直りできるか、等の不安からはじめて、それが今現実として引き寄せられている、ということだ。記事を見て、我に返ったような気分になる。私は、彼女が好きでリングをつけていたのではなく
いつ話せるかわからないからつけていた、ということだ。

あまり言い過ぎるとこれ以上に距離があきそうで怖いのでこの辺にしよう。

とりあえず、今後うまくいく方法としては、痩せるとき同様、
「 私とめたもるさんは連絡を頻繁に取り合える仲になる 」
まずは信じ混むことが大事だろうと思う。
辛いとかそういう感情も引き寄せのもとだから、“幸せになれる!えへへ“位に考えるのがきっと無難であろう。

今改めて引き寄せの法則が怖いことを知る。うまく使いこなせば綺麗な花を咲かせる肥料になるが、使いこなせなければ花を萎れさせる毒になる。

これはまた恐ろしい。
太ってきたな、とかも潜在的な引き寄せになっていたことに気づくし、負のループを生んでいた。自分で可能性を狭めていたのだ。

気づいた今ならばやることは決まっているはず
“幸せになる“ “私はあの人と普通に連絡取れるようになる“ “何を食っても痩せる“ “あの人は私と仲良くなりたがる“
…結構なハードルかもしれないが、できないはずがない。今の私はきっと完全体である。考えを改め、新たな一歩を踏み出し、私はあの人と普通に連絡取れるようになる、を叶えたいと思う。頑張れ、私。新たなスタートをきって成長してくれ!じゃあ、おやすみ。